論旨

PCの電力と放熱について、ひとこと書こうと思う。
・CPUの電力マネージメントの考え方が、知らないうちに変わっていた。
・エアコン、冷媒、冷却フィンなどについて考えることが多くなった。

1)デスクトップにまつわる昔の思い出

 定住を始めてからか、ビジネスでの要求で必要となったか、どちらかというと後者の理由でこのごろデスクトップPCをまともに使うようになった。デスクトップPCをメインで使用していたのはかなり昔になるが、旅行がちになったのでしばらく大型のラップトップをメインマシンとして利用していた。

 自作とまでは言わないが、本体をあけてみるとか、メモリは増量するとか、或いはCPUを換装する、HDDをSSDに換装するなどは、割と昔からやっていた。自分用のはじめてのPCはwindows95がでたこのろのヴェンダー製のデスクトップであった。田舎ではまだ持っている人は少なかったが、CPUは200MHZ前後であったことや、自分でメモリを64MBに増設したことをいまだに覚えている。

 当時はCD-Rが初めて高価格帯のPCに装備されており、大変役に立ったのと同時に、一方向の売り物であったCDというものを自分で作れることに、萌えた。当時なら、自作カセットテープで自分セレクションのリストを作ったらしいが、それがCDでできた。私はというと、それほどのめりこまなかった。理由はいくつかあるが、それほど音楽に傾倒していなかったこと、当時、割と高価であったMDプレイヤーを購入したこと、そもそもは音楽に対して情熱を持っていなかったこともあり、いつの間にか熱は冷めていた。また、実際的なことでは、CDーRが書き込み最大2倍であったこと(即ち、60分程度のアルバムなら30分は必要だったこと)、を覚えている。

 そのごはSONYから銀パソ(家族が505を買っていた)や、オーディオビジュアルを主としたD-PCがいくつか発売されており、とてもほしかったが、かなり値段が高いうえに、自分が収入がなかったこともあり、MD編集やDVD編集の黎明期を体感することなく、忙しくしているうちに、ipodなどが登場し、メディアを貯蔵する時期を満喫できないままに、ストリーミング時代に突入した。

 その後は、やはり学生などでなんとなく、パソコンを使うようになって、はじめはコンパクトなものを何機種か、そのうちCADも問題なく動くようなメインマシン系のグラフィックチップが外付けのモノを買うようになったが、兎に角、体がうごくのでずっとラップトップであった。

 時代は流れに流れて、2010年代となる。しかしそれから2010年代まではわりと旅先をゴロゴロ動いていたので長らくラップトップを使わざるを得なかった。普通の意味でのコンピュータの使い方ではラップトップでほぼ十分であった。日本に帰国してから会社をたちあげたこともあり、とくに計算の量の関係で、ラップトップではどうにもならなくなっていった。

 消費者目線において、ラップトップでどうにもならない欠点とは冷却性能である。一昔前は拡張性がどうのとか、そういった問題もあったが、2020年代にはUSB-Cの登場で外付けできない機器がうんと減った。そのほかはなんだかんだ、どうにかなる。かなり原理的なことであるが、基本的に熱交換のためのフィンに面積、その配置のために容積が必要である。

2.冷却に関しての経緯

 デスクトップのCPU冷却に関する話題について、面白くなってきたのは、いくつかポイントがあったように思う。私の覚えている中で大きな出来事は、ひとつは2000年前後のIntel-AMD戦争、もう一つは2010年ごろの水冷の登場かと思う。

CPUそのものの篤さ

 まず一つ目は、私はリアルタイムでは自作していなかったので記憶には薄いのだが、INTELのPentium2-3-4とAMDのK6からAthronのあたりの爆熱をいとわない性能競争、当時は周波数競争だったように思う。時期的には、現在まで続く、Core-Duo、2シリーズ、そして-iシリーズの、複数コアによるアーキテクチャ登場の直前となる。したがって、とくにintelのシングルコアでの性能≒当時は周波数が当時の限界に近いところまで来ていた、といえるかもしれない。このころはじぶんで確かめるほどの財力と時間はなかったが、追いかけやすい数字である、周波数が電気屋で見るたびにとんでもない値になっていたことや、Pentium-Dや、AMDはよく焼け焦げていたとの記事、焼き鳥とか、漢のCPUとか呼ばれて親しまれていたことを覚えている。

 この間メーカーが挑戦していたことは、演算のスピードを上げると、熱が発生する、耐えられるように構成する線を微細化して、熱を抑えようとするが、同時にリーク電流が多くなる、という課題+コストの問題を競争していた。

 ※今となっては、6Gにまで迫るCPUが常温で動作するので、性能の限界かどうかについては、どこにあるのかわからないところもある。プロセスルールが変わっているので、限界は徐々に変わってきているはず。当時の型番わすれたが、セレロンという廉価バージョンのCPUで、液体窒素で冷却してOCは7Gや8G程度まで出ていたのを覚えている。したがって、理想状態でのクロックの限界はそのあたりだと、私は理解している(いた)。ちなみに2000年前後に、インテルは10Gを目指すという目標を掲げている。

 その後も、休むことなく半導体の開発競争はすすんでおり、そこには設計のイデオロギー、セールス、環境問題、使われ方の変化などの多種多様な課題があり、すべてが語るに値するはなしである。ここでは長くなりすぎるので割愛せざるを得ないが、時間的に待ったなしで市場にリリースしながら、企業として進んでいることに、驚嘆せざるを得ない。

②冷やし方の多様化

 二つ目は水冷化である、他文献によるといわゆる「本格水冷」がメインストリームのコンシューマーにおりてきたのは2003年とある。水冷が面白い理由は、性能的な話もあるが、私にとっては寧ろその設計可能性が広いからである。また、人によっては装飾を楽しんでいる人もいる。

 工学的な利点としては、水にしろ冷媒にしろ、伝熱ではなく、熱の物理的な「移動」が可能になるので設計の複雑さは増すが、同時に自由度も増す。移動した場所で、ラジエーターと空冷ファンを使うので、比較対象としては、PCの場合は空冷であるが、これも実はヒートパイプの中には冷媒が入っているのでそれほど変わらないという言い方もできる。

 当時のふれこみとしては、その熱容量を水の容積でコントロールできるため、より冷却能力が期待できるという点。またラジエータファンの低速化が期待できるため、静穏性も期待できるという点。これらの理由により、ハイパフォーマンスPCでかつ、録音や配信に使用するという層にとっては特に重要だったのかもしれない。(実際のところは、ポンプの音や、メンテナンスの面倒くささで、なかなか思ったようにならないことも多いらしいが

 そんなこんなで、現在のところ、少なくともメインストリームのユーザーは完全カスタマイズの「本格水冷」を使っているユーザーはそう多くないと類推される(ref)。日本で老舗のDIYーPCメーカーに行って話を聞く限り本格水冷はもとより、簡易水冷もそれほどは推奨してこない、理由はメンテナンスが必要になるから、ずぼらには適さないということだ。簡易水冷もルートを決めて、冷媒が封入されているにも関わらず経年で少しずつ蒸発する、しかもその冷媒をあとからつぎ足すことを前提に作られているプロダクトは指折り数えるほどしかなく、要は3~4年で捨てろ、ということらしい。

とある記事、には、PCにおける空冷がはやらない理由を


空冷のCPUクーラーも大型化や効率化が進み、以前よりも冷却能力が高くなりましたからね。「一部のハイエンドPC以外、空冷で事足りる」のが2021年の現状ではないでしょうか。https://bto-mania.com/blog/3783 

とあり、大枠では私も同意する。とくに2021年よりも後の、CPUプロセスが10nm, 7nm, 5nm(core-i, 12gen以降、Ryzen3000以降)に突入したあたりから、通常時の熱はかなり抑えめになった。これはラップトップを使っているとかなり顕著で、AMDの5nプロセスのCPUはサーマルスロットリングによる性能低下が起きにくくなった。

 具体論で行くならば、私が使用していた廉価のスリムラップトップ(同じ筐体でいくつかの構成を試した。実際に複数台保有して性能並びに電池モチなどを見た)ではIntel の10genのi7が乗っていたが、ピークの2/3程度のスペックしか出ていなかった。これには、もちろん筐体と冷却設計の甘さだとは思うが、わざわざお金を出してi7を買っているこっちとしては、かなり落胆した。だが、12genになったとたんに、廉価ノートの貧弱な廃熱設計においても、やや性能が出るようになった。Ryzenも然りであるが、こちらは流石に根本の設計が違いそうなので単純比較はやめておこう。


3.熱のための設計、思想

デスクトップにおいては私が普段仕事で使用しているハイエンドCPU、(ここでは話を分かりやすくするために機種を絞るならIntel_13900k)では、ベンチなどの高負荷時には2秒程度で100度のサーマルスロットルに当たり、性能が低下する。

或いは、これを換言しないといけない。熱が出なくなったのではなく、出ない程度の低アイドル状態をデフォルトとして、定格やTDPと呼ばれた基準消費電力をよりきめ細やかに制御した、つまりアダプティブにコントロールしたということだ。

②熱交換のための、もーふぉろじー

・核とマントルの境界線にあるといわれる、鉄の樹。土と大気の間で熱を放散する木との形の相似性と、エネルギー交換の違い、生物にそれをやらせていること。光合成や、植物の生育は何をやってるのか、大地の熱を放散しているとは言えないのでは?

・ベルナールマシンとしての、Lシステム、ターナーの解釈

・今日、ウォルター・キャノン氏によって提唱されたホメオスタシス(≒恒常性)という専門用語言葉はある程度の一般性を持った。これのもとになった概念が生理学において内部環境の一定化を表す「ベルナール・マシン」という用語である。これは19世紀のクロード・ベルナールにちなんでコズマ・シャリジが用語を定義した。(ここは意図や目的的という議論とも関係してくる)

・ベルナールマシンの例でよく取り上げられるものは、シロアリの巣である。自分の論文でも軽く取り上げたが、J・S・ターナーの粘り強い観察と研究から、巣はモノではなく、彼の言葉で言えば「生きた構造」であると結論付けた。そしてこの仕組みはホメオスタシスを保つための仕組みで、その瞬間の巣はその過程を取り出したものとのべた。

彼が、リサーチのうちでこのアイデアに気づいたのは、いくつもの理由があるが、

一つに、地上に立ちあがった巣が太陽の方向に傾いていることであった。かなり捨象するが以下の三つのダイナミズムの平衡地点として、その瞬間の巣がたちあがるとの結論を導いた。一つはアリが地中を掘り起こし空間をつくりだすために土を排出する働き、二つ目はアリが温かい場所に砂を置く本能、三つめは雨や風などの周辺環境がこの塔を浸食する働きであった。

もう一つは、アリの巣がコロニー内の必要換気量に対して、適応的に対処できていることである。コロニーが時間経過によって必要になる呼吸のためのガスは、刻々と変わっており、それに塔の形で対応しているようなこと。その間、内部の空気の組成は驚くほど安定していること、

もう一つは、シロアリ自身がそれほど高度な知性を持っているわけではないのに、上記の高度な仕組みが働くことである。個別のアリは砂粒を拾いどこかに運んで捨てるという動作を、敏感な環境特性に従って行っているだけのようである。これは上記の全体の系としてのベルナールマシンの説明で

 したがって、塚状、煙突状の巣は、シロアリが換気のために作ったものではなく、前出の働きから、自律的に立ち上がったもの、といわれる。彼は、シロアリの塚は実体化された生理学の一つの形、実体化されたホメオスタシス、構造でもあり機能でもあって、土の運搬と塚の構造とガス交換が一緒に共役して閉じた一つの機能的ループを形成していると述べている。また同じ章で、構造と機能は別個であると宣言した。