なぜ車に興味を惹かれるのだろうか。幼少のころから、他の乗り物も含めては確かに好きだったが、それはほかのお子さんと大して違いもない。金属のかたまりがつくる空間で駆動するという意味では、なんならエレベータでもロケットの帰還船でもいいはずだが、いまのところそこに萌えてはいない。
自分で運転する前から概念が好きだし、免許を取ってから馬鹿みたいに駆ってはしった。今考えると行き場のないやや飽きたが、地球を何周もした今となっても、まだ興味はある。いまだに車の話をするとほころぶ。
私、あほなオッサン男の子なんでパソコンも然り、速い遅いなどの直接的性能、或いはそのための工学的なはなしも好きである。やや年取ってきたので、動力がどう、燃費がどう、シートアレンジの妙など、先人の知恵が入った設計を見ればワクワクするし、全く考えもやる気も乏しい部分を見ると悲しくなる。
同時にメタフィジカルな意味でも重要なものである。実際的に時間と軌道に縛られない稀有な移動手段ではあると同時に、気分のうえでも自由を担保してくれるような気がする。もっと突っ込むなら、他人における服やメイクのような自分の一枚外側にある飾りのような意味があることも想像できる。乗りたい車がたくさんあることと同時に、どうしても乗りたくない車があることもアイデンティティの延長として捉えていることの証拠であると自分でも思う。
即ち、ガジェットや建築やとよく似ている部分があり、工学的な機能云々の話と、それが生み出す
近年は、自動車業界にとってだけでなくユーザーにとっても激動の時代であることは